「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第9話
「ばんざい人間」が、土曜日の午前と云うのは、「桂枝雀のモ-ニングサ-クル」を
担当しろと言われた時に、遡ります。(番組を立ち上げた先輩DがTVに移動、後はお前がチ-フで担当しろと。)
枝雀師匠との忘れられない思い出は、番組改編時の打ち合わせ。
時間がどうしても取れないで、困っていたら、
「高田はん帰りの阪急電車各駅停車にするから、その中で打ち合わせしまひょ!」と、
想像して下さい。一駅毎に「あっ!枝雀さんや!」
その都度、師匠頭を下げて、打ち合わせ続行。
十三駅で、説明が終わり「4月からもやりまひょ!」とOKを頂きましたが、残念なことに米朝事務所の意向で3月にダメと(当時、吉本が東京進出、空前の漫才ブ-ムに、全国ネットTVでギャラが高騰)結論が出ました。
改編迄残り1ヶ月、修羅場です。微笑みの仏円空仏によく似ておられたので、当時、
「師匠国宝にならはりまっせ!」
その後、米朝師匠が人間国宝に、枝雀師匠は、残念なことに亡くなられました。
「何で!?」
みんなが思い、その死を惜しみました。
身振り手振り、全身で務める師匠の高座は、ライトに照らされ、
頭から湯気(汗)が立ち上り、その様は後光がさしているかの様でした。
ともあれ急いで、後番組を、後任を決めねばなりません。
大阪・滋賀県ゆかりのイラストレ-タ-黒田征太郎さんとの出会いです。
以前、機会が有れば、ゲスト出演可能とお聞きしていたと云うので、
彼ならスポンサ-やリスナ-にも納得してもらえる。
彼の絵本とレコ-ドを家に持ち帰り、イメ-ジを膨らませ、「桂枝雀の日本昔話」を「黒田征太郎のウソップ物語」に又、番組の目玉企画として、「黒田征太郎の独り言エッセイ」スタジオで絵を描きながら語る。
「水平線があります。僕は若いころ、ベトナムに物資を運ぶ船に乗って・・」
ペンを走らせる音と語りに音楽を付けて5分ぐらいの作品に仕上げ、それを聞いたリスナ-が、感想を寄せ、彼がもらって欲しいと思った人に「書きあげた絵」プレゼント。
当選者にはその絵を額に入れてアナウンサ-がお届けし、感想を録音・報告すると云うコーナ-。
1年間続けたら、講談社に持ち込んで絵とエッセイのカセット付きの本をだそうというものです。
リスナ-プレゼントとして、カラ-ペンで猫や鳥を描いてサインが入ったエプロンをプレゼントする。
企画書と構成案を東京六本木の彼の事務所に持込み説明。
後が無い、ぶっつけ本番です。
暑い日でのどが渇いて、飲みものは?と聞かれビ-ルがあればとお願いしました。
これが良かったみたいで出演を快諾!その場でタイトルも決め、番組宣伝も録音。
本番まで三週間、アシスタントは土谷多恵子さん、
歩くジュークボックス浜野アナウンサ-とメンバ-も決まり
「黒田征太郎の人間・起承転結!」がスタ-ト。
本番前日の夜に、初めて顔合わせ、簡単な通しリハ-サル。翌日午前9時~11時第一回放送。黒田さんは前日入りでスタジオ近くのホテル泊り。「早川一光のばんざい人間」につながる人間シリ-ズ3部作の始まりです。
そして、それは新たな波乱の始まりでも、又、来週(つづく)
当時その場で描いてもらった小生をイメージした絵
*著者紹介
KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター
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