「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第18話 reissue
「早川一光のばんざい人間」は、32年前1987年10月3日土曜日(午前6時45分から9時まで)生放送が始まりました。
目覚まし時計を2個セットして、午前3時半起床。
TVを付けて深夜に事故や重大事件が発生していないか確認、午前5時に会社に入ります。風呂と朝食(かみさんが作って置いた稲荷ずし)は、正しい判断が出来るように欠かしません。週一の番組は、原則ディレクタ-は1人。変わりはおりません。熱があろうと、行かねばなりません。技術1名AD(アルバイト)1名と電話受付(アルバイト高齢者の為に最後まで残した)は2名。構成作家1名。
メインパ-ソナリティ63歳医師の早川先生とアシスタントの北出真紀恵さん。
テ-ブルを挟んで、向き合って話していました。どんな内容?挨拶があって朝のⅠ曲。
主に季節の童謡(ラジオから聞こえなくなっていましたので、簡単な説明をして)
元気なお年寄りを紹介する「気分は青春!頑張るジ-バ-登場」(早朝電話インタビュウ-)
孫からの手紙メッセ-ジを伝える「おじいちゃん、おばあちゃん観察日記」(子供が作文を読むため、家族全員が聞く)早川先生が子供に感想を語る。
「お年寄りなんでも相談」(医療相談・嫁姑等。本番中におじいさんが倒れたと云う電話にも適切なアドバイス。放送終了後もフォロ-)
広がれ広がれ!ボケない音頭の輪(当初は、ぼけない音頭が聞こえる)
「昭和音楽かわら版」(リクエストハガキ紹介、曲と時代解説)
高齢者に関わる産業情報・生活の知恵・レジャ-情報・シルバ-料金の店等。
隣人愛溢れる地域情報番組、みんなで高齢化社会を考えようとスタ-ト。
後に、スタジオ参加者もセリフを言う「びっくり仰天講座」が出来ました。
先生が言いたい、みんなと考えたいテ-マを台本にして寸劇風に(ブッツケ本番、個性豊かに演じました。)当時の京都新聞(1987年9月28日)の取材に
早川先生
「ラジオは耳で聴き考えるので老化防止になる。ラジオの身軽さで、エコ-するようにみんなでつくりたい。素人の臨床医がやるのだから、危険だけど素人の良さを最大限出したい」と抱負を語っていました。
私が制作部長になったので、早朝番組から外れましたが、午前8時までの大枠は、番組終了までテーマ曲もジングルもほぼ変わりません。(編成の都合で、時間の長い短いはありましたが)定年で退職しても先生からは、「これでいい?高田さん」と電話を頂き、
相談にお答えしていました。「ラジオだから、聴きとれる内は大丈夫ですよ!」(この番組だけは、犬の散歩道で毎週モニタ-)
番組の最後は、聴きとり難くても、リスナ-が耳をそば立て聴いていました。
最後の方はドキュメンタリ-番組のように感じていました。
30年6カ月の間、私自身3回担当、沢山のDがそれぞれの持ち味で工夫し担当しました。
私の命題は、ラジオは何が出来るか!地域に何を提案出来るか!(例えば長門・南田ご夫妻をメインにした、かたつむり大作戦・交通遺児の為のチヤリテイ--基金全社員で取り組みました。私はラテサイマル完全24時間生放送を担当)
ジャ-ナリズムの端くれに、いる者として弱者の味方でありたい。
そんな思いで番組を作っては、2,3年で渡して来ました。
人によっては、自分の番組にこだわって渡さない人もいますが、私は欲張りで作った番組が安定したら、違うテ-マを追いかけました。
出来あがっているタレントさんには、興味がありません。
新しく創造する楽しみがないので、アシスタントも出来るだけオ-デイションをして新人を起用するようにしました。(自身がアナウンス試験を経験、新鮮な新人の起用を心がけました。)
普通、ローカル局では局アナがメインのワイド番組になります。
交通費や泊り代タレントギャラ等の経費は、負担です。
自前のパーソナリテイが作れるか!
おかげ様で「早川一光のばんざい人間」は、1999年5月31日ギャラクシ-賞優秀賞を頂きました。表彰レリ-フには、
「高齢社会を迎えて、誰もがラジオに何ができるのかを模索する中で、パ-ソナリテイの大胆な起用、早朝のスタジオ公開、高齢者向けに徹底した選曲など好奇心溢れる企画は、ラジオの未来を明示して秀逸です。放送批評懇談会」
業界では権威のある賞をロ-カル局の(特別番組では無い)日常の生番組が受賞しました。平成10年日本民間放送連盟生ワイド部門連盟賞も受賞しました。
2014年12月関西ディレクタ-大賞特別賞(日本作家協会関西支部)も頂きました。
全国の放送局にKBS京都・早川一光先生が、名乗りを上げた格好です。他局から参考にしたいので、番組のテ-プを送ってと云う依頼もありました。
著者紹介
KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター
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