「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第43話
第43話
今年は、新型コロナの影響で葵祭・祇園祭り・時代祭・鞍馬の火祭など中止が決まり、
随分と寂しい思いの京都人が多いと思います。
そんな中、送り火の火を絶やすなと規模を縮小して、五山の送り火が2020年8月16日行われました。
お墓参りに行けなかった私もKBS京都テレビを見ながら、いろいろ感じるものがありました。不足を知って足るを知る。社屋の屋上からの生中継。
進行のアナウンサ-やゲスト、構成も、地元の局ならではの誠実で丁寧な創りで良かったです。送り火関係者の「綺麗な火を見せたい!」の言葉どおり、きれいな火でした。早川先生が送り火を見せてと、会社の屋上に来られた事を思い出しました。(私は不在で、営業のKさんが対応。)送り、送られ・・・そんな事もありました。
「西陣の路地は病院の廊下」往診かばんを持って患者さんの元に行く。
在宅医療の先駆け早川一光先生、2014年お医者さんから在宅医療を受ける患者さんになりました。いろいろ戸惑う事も・・・「病む人の気持ちが分かりました。死ぬ怖さを知りました。」今の心境をラジオで語りました。又、ご自身の終わり方についても、あれこれ脳裏をよぎります。
2018年1月、編成部長のTさんから電話がありました。
「今日、早川先生のご自宅に伺って、3月末で番組を終わりますとお伝えしました。
高田さんの所に、先生から電話があると思いますので、よろしくお願いします。」
しばらくして、先生からお電話をいただきました。
「高田君、どう思う・・」
言葉からは、愛おしい、いとおしい!というお気持ちが伝わって来ます。
番組が、リスナ-が、スタジオ参加の皆さんが、スタッフが、
みんな、みんな、いとおしい!
「けしからん、命あるかぎり続けましょう!」とは、云えませんでした。
スタジオで、2時間立ちっぱなしだった早川先生、
「わしが椅子に座る時は、病にやられた時や!」
何とか、土曜日の生放送に行こうと、最大限の体調管理と努力を続けてこられましたが、
月に1回のスタジオ出演が続きました。
先生の思いもありますが、局としてどう番組を終わらせるのが良いのか、いろいろ検討しての結論。それは唯一無二の早川先生だから、こその番組ということでしょう。
早川先生に、敬意と感謝を込めてこその、今この時の結論です。
「先生、もういいでしょう!3月末まで間があります。お話が出来る間に、終わるほうが、私は良いと思います。」と、申しあげました。
先生、何か云いたそうでしたが、
「そうか・・・」
と、ご本人が、一番わかっておられる。確認の電話。
2018年3月31日「早川一光のばんざい人間」は、最終回を迎えました。
開始から、30年6カ月。
1591回目の放送には、午前6時頃から約90人のリスナ-(混雑を避けるため、事前予約とか)、他に私も含め番組関係者、TV・新聞など報道記者が駆けつけました。
スタジオのホワイトボ-ド一面に、スタジオ参加者の皆さんがメッセ-ジと似顔絵等で飾り、先生へのねぎらいと感謝の意を伝え、テ-ブルの上には、寄せられた花束が一杯。
リスナ-からは、感謝のメ-ルやFAXが続々届きました。
スタジオに入りきれない人は、1階ロビ-で、番組をモニタ-。
先生は体調がすぐれず、残念ながらスタジオには来られませんでした。
録音での出演。先生の最後のメッセ-ジ
「やり遂げた感じは、僕にはないんです。今も進行中です。いずれ機会を与えていただければ、突然リスナ-の皆さんにお話をするかもしれません。これは皆さんとの宿題にしておきましょうか・・・」先生と私の宿題と考えてこのエッセイを始めました。
奈良薬師寺の恩師が、放送を聞いて早川先生あてにFAXを送って下さいました。
「・・今も進行中と聞き、そうですと申し上げます。・・まかれた種は永久に流布するでしょう!」
ぼけない音頭がながれ、竹上和見さんが涙ながらに感謝を述べて番組は終わりました。
30年6カ月、先生、奥様、ご家族の皆さん、早朝番組お疲れ様でした。
そしてありがとうございました。先生不在が残念でしたが、ラジオは聞いておられました。放送終了後、北出さん、竹上さん、番組スタッフ、制作部長等と、スタジオに届いた花束やFAX.メ-ルを持ってご自宅に伺いました。
ベッドの上で聞いておられたそうです。
私は先生の手をさすりながら、大きな声でご挨拶しました。
関西TVのカメラが傍にあり(既述第4話)勿論、早川先生に宿題をもらった女性ディレクタ-もいました。その日の夕方、京都新聞が大きく記事にしてくれました。
(スタジオの写真と見出しは、早川さんまたいつか 長寿ラジオ番組最終回)番組としては、上手に終われたと思います。
その2ヵ月後に先生、帰らぬ人となりました。
又、来週!(つづく隔週)
*著者紹介
KBS京都の「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター
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