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「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」

「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第39話

第39話

1977年以後琵琶湖で赤潮が発生、富栄養化が深刻な問題となり窒素やリンの排出を減らすため、1979年に滋賀県で「琵琶湖富栄養化防止条例」が制定され、工場排水の排出規制、合わせてリンを含む合成洗剤の使用販売贈与を禁止しました。

これを受けて、メ-カ-は無リン洗剤に切り替えました。

私が企画提案したのが、1年位前、メ-カ-も対応に苦慮、広告代理店も動けない時でした。

この時点では、早すぎる企画、つまりスポンサ-(滋賀県も含め)がつかない。で、この年12月24日25日の開局記念番組は、京都の空き缶条例を考える!「WE LOVE BEAUTIFUL KYOTO」空き缶ポイ捨て京都1番リポ-ト、町田市の分別の取り組み、デポジットとは?ハワイ知事のコメント等クリスマスなのに何とも地味なテ-マで24時間生放送。営業には本当にやるのと、何度も確認した事を覚えています。

その時の営業局長は、やると云い切りました。

現場も必死でつくりました。(市民の意識調査)飲料メ-カ-も注目の企画でした。

次の周年企画の時にも、出してくれといわれ「近畿1400万人の水を考える!琵琶湖は誰のもの」の企画書を再提出。

条例は成立していましたが、スポンサ-の獲得に苦戦、当時(水の企画だけに、流れるね~)とか、云っておりました。(後年、2回目の滋賀局勤務では、琵琶湖の周囲にある町をラジオカ-で訪問する「オ-イ!琵琶湖・・・」という番組を放送しました。)

琵琶湖の企画書を書く前に、滋賀県水産試験場の取材で聞いたある職員の方の言葉が、忘れられません。

「私が北海道から、転勤してきた時の琵琶湖は、外洋の青さと同じでした。でも洗濯機の普及で、みるみる水質が悪化しました。私たちの世代で元に戻さないと・・・」


かみさんに聞くと子供の頃は毎朝、しじみ売りの人が来ていたそうです。・・・

去年11月、一世を風靡した漫才の平川さんが亡くなりました。

Wヤングの平川幸男さんです。

やすし・きよし、ビ-トたけしもおそれた漫才コンビ「Wヤング」に、助けて頂いた事を思い出しました。滋賀局では、ノルマを達成できないと、「KBSお笑いキャラバン」(4~5組位の芸人さんを呼んで公開録音)を実施、補てんしていました。

そのうち常態化しました。彦根市民会館での事、トリは笑福亭仁鶴さんその前はWヤングさん。ステ-ジで熱演中、マネ-ジャ-から電話「新幹線に乗り遅れた」との事。

15分か20分?取りあえずWヤングさんにメモ「つないで!仁鶴師匠、遅れる」ネタを終えた後、突然、つなげと言われたWヤングさん。さすが勢いがあるだけに、何をしてもお客は笑います。汗をかきかき大奮闘!ネタではなく、アクションで持たせました。

やっと仁鶴師匠登場。助けて頂きました。ご冥福をお祈りします。(後年、仁鶴さんのマネ-ジャ-をしていたKさんは長浜市の市会議員になり、市役所の記者クラブでお会いします。)仕込みを営業さんがやっていた時は、ラジオなのに奇術やチャンバラトリオが入っていて、放送に苦労しました。

民放なのにCMのない公開録音それは、「青江三奈ショ-」。

恍惚のブル-ス・伊勢佐木町ブル-ス等ハスキ-ボイスが魅力でした。スポンサ-の都合でCMなし。当時はまだ放送すると、営業ランクよりギャラが少し下がりました。(事務所が強いと地方は営業料金。)スポンサ-は,某市の職員互助会CMなしで放送。(聞く人も互助会も局も三方よし)変わった所では大津市の成人式。ブル-・シャトウが大ヒットした「ジャッキ-吉川とブル-・コメッツショ-」で公開録音をしました。(新聞に亡くなられたと)当時はオイルショックで、トイレットペ-パ-もガソリンも不足していました。出演交渉をした時、ギャラとは別にガソリンを要求され、当日営業手配で渡しました。低音の魅力、フランク・永井さんは、彦根市民会館まで外車を運転して楽屋入り、リハもそこそこにスタッフとトランプゲ-ム、マネ-ジャ-に頼まれた色紙30枚を渡し、帰りに回収しました。他にもビリ-バンバンや本田路津子も担当。

大津に新しい会館が出来た時は、こけら落としに「島倉千代子ショ-」。

リハ-サルで、立ち位置と動きを念入りに確かめていらっしゃる。

聞くと、目が悪くほとんど見えないとの事。このころの台本、照明まで落としこんで、完成度の高いものになっていました。

司会は本社のベテランの方にお願い。当日は大阪のコロンビアレコ-ドの方たちも、来られ島倉さんに挨拶していました。さすが大物、と感じ入りました。今までも番組で曲はかけていましたが、生歌は違います。「東京だよ、おっかさん」この後、CM出し(スポンサ-も招待され、現場CM出しが条件)セリフも良くて感動、余韻に浸って間をたっぷり取っていると、しびれを切らして技術が、「CMです。まだですか?」と聞きます。

CMの頭は「鶏の鳴き声、コケコッコ-!○○」(ローカルらしいCM)出すのがためらわれました。ハイ!Q!「コケコッコ-!」悲しいQでした。(大津では、他に由紀さおり、デュ-クエイセスでも公開録音をさせて頂きました。)

次回は、早川先生81歳、淡々と18年・放送900回目

又、来週!(つづく隔週予定)





*著者紹介

KBS京都の「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター

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