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「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」

「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第21話


 早川先生が、マイカ-に患者さんを乗せてスタジオに来るようになりました。

他にも自分が取材を受けた雑誌の編集者や医療関係者も連れて来ました。

皆さん眠たいのにご苦労さまでした。

電話やハガキでもリスナ-から、スタジオ見学のお問い合わせが増え、

スタッフから公開生放送ができないかと相談を受けました。

セキュリテイの面ではダメの判断(当時御所は、過激派に対する警備も厳重で会社は蛤御門の前に在りました。)でしょうが、制作部長だったので、保安を管轄する総務部長と相談。何かあれば制作部が責任をとりますと許可してもらいました。

事前に、氏名・住所・連絡先を往復ハガキに書いて申し込んでもらうようにしました。

こちらから確認の電話を入れ、参加者名簿を作り、受付の警備を担当する保安に提出。

番組スタッフが1階ロビ-に、お迎えに行きました。

その後、2回目に担当したら参加者にラジオ体操の様なカ-ドを渡し、スタジオに来たらスタンプを押して15回溜まったら、お祝いする様になっていました。(先生と北出さん表彰者をポラロイドカメラで撮影)写真を先生の色紙に貼ってお渡しし、コメントを頂くと云うものです。このカ-ドが公開生放送の危機を救いました。


 NHKの京都放送局に暴漢が押し入り、立てこもった事件が発生しました。

当然、会社の安全対策の点検が行われました。早朝公開生放送の危機です。

総務の担当者と話し合いました。その頃には、保安担当の人も早川先生のファンになり、スタジオ参加のお年寄りとも顔なじみになり、「カ-ドをパスポ-ト代わりにして、継続したい。忘れた人は誰かが保証したら、入れてあげて下さい」で決着しました。

私はいつも午前5時に会社に入り、共同通信から、配信されるニュ-ス原稿をチエック、報道が夜に置いてくれた分も見ながら、朝一番のニュ-スを組みます。

6時にアシスタントがきて原稿の下読み。

併せてNHKのニュ-スもモニタ-チエック。

(地名や人名等)台風など刻々変化する場合は、CMや音楽の合間に、原稿を差し替えて対応しました。


 ある日、いつもの様に準備していると、泊まり勤務の番組ミキサ-が、やって来て

「タクシ-の運転手さんが、目のご不自由なおばあさんを連れて来て、スタジオ前のロビ-で待ってはります。」


時刻は5時過ぎ。


(スタジオ参加者には早くても本番30分前6時以降にと、お願いしています。)

お話を聞くと大津の病院に入院しているが、直接来たとの事。

付き添いも無く1人。

「他のスタッフが来るまで、お待ち下さい」と私は準備に戻りました。


 ラジオのスタジオは、大小6つあります。

ワイド番組用の大きいスタジオは2つあり「ばんざい人間」は第2スタジオ

別名「ふれあいスタジオ」(新社屋が出来た頃、今の上皇ご夫妻が窓が開く珍しいスタジオと云うことで見学に来られたと記憶しています。その折のスタッフはネクタイ着用で、社内交通規制も)で放送しました。

公開放送も可能なように、長イスやパイプイス30脚が収納されている広いスタジオです。この番組は、ミキサ-泣かせで他の番組の様にセットしたら終わりとは、行きません。

インタビュ-マイク2本・SEマイク1本・卓上マイク4本これらを生かしたり、殺したり、現場の音と、放送の音をチエック把握し、管理。次のテ-マやレコ-ド・CMを指示通りに出さなければなりません。BGM低めとか、先生の声大き目とか、慣れてないと難しい。長時間緊張していると、Dの指示がないのに、スイッチを押して事故になることがあります。細かい指示と気配り、相手の技量を推し量ることも必要です。

私は、ミキサ-と一緒にヘッドフオンで、ラジオから流れる音を聞きながらQを振ります。(そうしないと現場の音に気が取られ、肝心の放送の音がおろそかになる危険があります。)毎回、原則通りの指示をだします。

いつミキサ-が、交代しても大丈夫な様にするためです。指示は大きな声で、Qは、大きく皆が分るように出します。

特にスタジオ参加者が、40人ほどのスタジオですから全員の息が合わないといけません。まさにこれから航海に出る船の様です。

「はい!本番1分前」

立ち上がって大きな声で

「Q!」

 目のご不自由な大津からタクシ-で乗り付けたおばあさん、最前列に座ってます。


なんやボソボソ聞こえるなと思ったら、お隣のおばあさんが実況通訳、説明してはります


SEマイクの向きを変え、放送に支障のないようしました。


それから毎週6時頃に来られ、通訳さんとコンビで、SEマイクが拾わない座席に座っておられました。


 ふと気がつくと姿が見えなく、相方さんにお聞きすると亡くなられたそうです。

30年と半年いろんな方の顔が、走馬灯の様に浮かびます。

先生、見学の皆さんに愛称を付けてちょこっとインタビュ-


「どう?元気、裁判官」


いかめしい顔をしたおじいさん


「難しい顔してるな」

これで、本人もスタジオの皆さんも爆笑、笑顔になります。


先生後半は、自分より若い人に


「どこから来たのお爺さん、おばあさん?」先生の方が年上です。


自分の年は忘れてます。


又、来週(つづく隔週予定)


*著者紹介

KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター



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