「ふたたび、暖簾をかけるまで」第4話
訪問STからの当時の様子
店舗兼、自宅の1階にてケアマネジャーと同席で初めてお伺いしました。
その当時は、その場の簡単な会話は出来ますが、連続した会話には成らず、
お体の状態を聞いても笑顔で
「はい、この通り元気なので、そろそろお店を開けないと」という返答でした。
一見、しっかりと目が覚めているようで、夢の中に居られるような状態。
その場では、事前に頂いていた高次脳機能障害についてのお話はせず、
御本人の話される内容を傾聴していました。
初日に青木さんと私の会話の中で一致したことは唯一
「お店を再び開くこと」のみでした。
「頭のリハビリをする」では無く、
「お店を早く再開するための相談役」として
継続的に訪問するという約束での訪問開始となりました。(外来リハビリとの併用にて)
また、奥さんからは
御本人に聞こえないようにしながら、
「自分の時間が無くて疲れている」「どのように接して良いかわからない」
との訴えがありました。
訪問毎に、奥さんから数日の様子や不安をメモにして頂き、アドバイスをしていく、
ことになりました。
数日後、外来先で行われている検査の内容や経過のデータの確認も含めて、青木さんの外来時間に同席させて頂くことになりました。
そこでお会いした青木さんの表情は、数日前にご自宅で見た笑顔は一切なく、
不安そうな、不機嫌な顔でじっと固まっておられました。
当時の奥様の日記にもありましたが、外来での机上のリハビリ、検査とご自身の現状の認識や「店を早く再開したい」が一致せず、乖離(かいり)があったのだと思います。
程なくして、
外来でのリハビリは終了となり、週に二回STによる訪問リハビリのみの介護サービスとなりました。
当時訪問に行くたびに奥さんから頂いたメモには
①時間の認識や排便した記憶がなく、失禁失便があり、時間を決めて促そうとしても「さっき行ってるので大丈夫」と言い行かない。
失禁失便したオムツを部屋に放ったらかしにしている、
手を消毒せずに厨房に入り調理しようとする
②左側に少し傾き物に当たってしまうことがある。
といった事がありました。
③外に出ると音に敏感になり、疲れてしまう
①に関してはトイレにホワイトボードと時計を置き、排泄するたびに時間と「大・小」のチェックをする、アルコール消毒ウェットティッシュを設置することにしました。
また腕時計を日中は付けて時間を意識してもらうこととしました。
②お二人で屋外に散歩によく出かける為、狭い隙間(電信棒と壁の間など)が通れそうか事前に見て判断してから通る、細い通路をぶつからないようにしながら、奥さんと一緒に通ってみる等の習慣をお願いしました。また元々乗っていたバイクは現在は控えるようにもお伝えしました。
③一気に騒がしい所に行くのではなく、なるべく人の少ない時間から徐々に慣れていくことを提案しました。
開始当初のリハビリはリハビリ終わりに今日の振り返りをメモを渡しながらスマートフォンで録画し、次回の訪問時の最初にお見せすることで、繋がりを持たせるようにしました。
また唯一一致していた「お店を再開したい」の視点からの提案、や「便利になるように」の提案をして行くことで徐々に信頼関係が気づけるようになって行きました。
当時、玉ねぎを包丁で切る作業も確認しましたが、手際よく作業自体は出来ていました。
また記憶の確認からご自身の半生を一枚の紙に記載してもらいましたが、
小学生の頃の思い出を大量に書き、中学以降は曖昧、成人前以降は断片的で奥さんとの出会いなども思い出せないご様子でした。
またお店の再開時期に関する認識は当時は「3ヶ月後」に再開、と言われていました。
*この日記は高次脳機能障害からの記憶障害の練習の為にご家族による当時の様子、想いと
御本人による振り返りから構成されています。ご夫婦より多くの方に知ってもらいたい、とのご希望があり、掲載しております。
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