「ふたたび、暖簾をかけるまで」第17話
4月 奥様より (主人の様子やその時の想い)
病院を退院してスポーツ新聞をとるようにしていました。
以前は京都新聞だけでしたが、主人はスポーツが好きでしたから少しでも興味があったスポーツを思い出せたらと思いました。
この4月頃からスポーツ新聞に興味をもち始めてゆっくり読まれるようになりよかったです。
少しずつ今月から調理をしてもらうようにお願いすると
スムーズに以前店をしていたように食材を処理されておられました。
ただ少し味付けは薄かったですが、店を始める時ぐらいになると戻ると思いました。
今月は外装工事が1ヶ月ほどかかる為、私は家に居なければいけなく(業者の方や工事の方がトイレを使われるので)主人をできるだけ一人で外出してもらおうと、
つくし会に行って頂くよう主人にお願いしました。
入院してからオムツパットをつけていましたが高田先生のアドバイスのお陰で
今月の中頃に外すこととができてよかったです。
京都新聞で「山菜まつり」の記事が載っていてJR園部まで電車2時間ぐらいかかりましたが自然な所でわらびを2人で採って、たんぽぽの天ぷらを頂いたりとても貴重な経験をさせて頂き、今まで主人とあまり出かける事がなくて一緒に楽しく笑って生活するすばらしさを感じ、これからもゆっくり生活していきます。
(担当STから当時を振り返って)
この頃になると開始当初に見られた「ボーッと」している感じは徐々になくなって行き、
寧ろ、明朗快活、という印象になってこられていました。
まだまだ多弁や同じ話を繰り返してしまう、忘れていることは多かったですが、
「自分が何故こういう状況なのか」だったり、「段階を踏んで店の再開に向かっている」という認識は常にブレずに過ごされるようになっていました。
なので、訪問リハビリに対しては意欲的で以前はしたくなかった「机上の検査」にも取り組まれるようになりました。
また奥さんと一緒に空間認識への刺激としてパズルをされたり、わざとショッピングセンターの慣れない行き方にトライする、なども自発的にもされるようになりました。
病前は寡黙で仕事一筋であったとのことでしたので、ご病気によって、性格的にも変わられたのかもしれません。
しかし、日記にもあるように奥様も「沢山話せること」「一緒に過ごせる時間が増えたこと」を心から喜んでおられ、以前の性格とのギャップを好意的に捉えておられました。
地下鉄にも新聞を見て周囲の刺激に耐える代償手段が確立出来、トイレもメモの習慣、時間の確認出来る環境が整ったことで失敗がなくなったように思います。
少しずつお二人で自信を取り戻され、霞んで見えなかった「店の再開」が何となく現実的に
思えるようになって来られた時期だと思います。
*この日記は高次脳機能障害からの記憶障害の練習の為にご家族による当時の様子、想いと
御本人による振り返りから構成されています。ご夫婦より多くの方に知ってもらいたい、とのご希望があり、掲載しております。
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