「ST、在宅やってるってよ」その94
病院勤務時代に「ST室の扉を開けておくように」と
他職種の上司に言われたことが何度かありました。
何をしているのか確認したいという意図だったのでしょうが
そして「ST、ST室で紅茶とお菓子食べてるってよ」イメージが
どこからともなく漂っていたからでしょうか、、、
実際は、、、、反発だらけでしたが。
というのも
扉を閉める意味は言語療法としてだけでなく、大切な役割があったから。
脳梗塞後も気さくなキャラクターで病棟で愛嬌を振る舞うおじさん。
ST室で扉を閉めた途端、破顔。号泣。
「わし、生きてるのしんどい、、、、なんで死ねんかったんや」
別の貴婦人は小声で
「帰っても息子の嫁がいるからあかん、、、声が出ないとあかん。」
「バカやろ―!!」と涙ながらに発声練習。
そんなドラマが沢山生まれていました。
開けていては心は開かないことがあるのです。(上手いこと言った)
在宅ではどうでしょう。
ずっと熱心なご家族が隣におられるのは有難いことですが
時として、場合によって違う化学反応を起こします。
お母さんと二人でいると質問が来るとお母さんに全部聞いていた中学生
一人で来ると、自分で全て応えられる。
別の子供さん。一人でいると普段言えない愚痴。。
「なんか、最近になってみんな急に厳しいねん、わかるけどさ」
と言えない気持ちを言って去っていきます。
大人もそうです。
普段「病気になって何にも出来なくなったんよこの人」と言われる方が
奥さんが不在の日に
お茶をご自身で用意し、普段よりも必死で状況を話される
「んんん、ああ、今日は、、●●ちゃん(昔の奥さんのあだ名)出てる」
そうやって一人でも出来るの自信を付けたり。証人として後押ししたり。
在宅の「ST室の扉」ってこういうことかもしれません。
もう少し大きい「ST室の扉」だと
失語症の当事者さんの集まるお茶会があります。
一般の方と交わるデイやお店だと話せない、食べ方を見せたくない。
そんな思いが解放される。本当の今の自分を見せられる。
少し大きい「ST室の扉」
時々、心の「ST室の扉」を意識するのもいいのかもしれません。
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