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執筆者の写真hanataku2019

「ST,在宅やってるってよ」

「ST,在宅やってるってよ」その116


唐突ですが


今、私が若手、または来春からSTになるとしたら

どんなキャリアデザインを描きつつ過ごしていくか、について、です。


その前に


私がSTになった15年以上前ではSNSの普及どころか、そもそも就職先として

病院(嚥下がやっとあるかどうか?)、聴覚検査関係か、小児関係か


代替この三択のみでした。


そもそも、私は「話すと食べるって一生誰にとっても大切な事だから関わりたい」と

あまり、その先のキャリアを明確にせずに志望入学し、そこからは怒涛の実習・試験と

続いていく中で動きつつ働き方、働き口について同時進行で知りつつ、しか無かったのですが、、(リアルに感じる為に学生時代から訪問での小児リハのアルバイトや失語症友の会のボランティアなど学校を通じて自分なりにOJTはしていました。)


結局、総合病院に就職しました。

その大きな理由が関連グループで私の自宅の近所で「月に一度地域に開放した居酒屋」をしている、という所に魅力を感じたからでした。

そこの部分は今もブレていないように感じますが、


入職後、先ずは病院でST業務に慣れる、理解するからスタート

成人で失語症の方と接したい、高次脳機能障害に対して取り組みたいと思っていた部分を

マスターする為に従事していました。


しかし、待てど暮らせど「居酒屋」への従事は遠く、STは病院の単位を満たすこと

施設等外部への機能訓練士としての定員は1名ずつで身体が優先されること

そして当時PTOTと比較してSTは大きく給与が低く設定されていたこと、等があり


徐々にモチベーションは下がり転職や自分のしたい「働き方」を意識するようになりました。意識はするものの、相談出来るSTは同じ環境や学生時代の知り合いなので、求める情報にはたどり着けず苦労しました。

不貞腐れつつも、気にかけて下さる先生方と集団失語症リハビリやデイサービスの言語部門立ち上げ、回復期・外来・認知症治験と興味のあるものには「経験を積む」ことも含めて手を挙げていました。

ここは不貞腐れつつも当時の私、頑張ったと思っています。(笑)


こういった様々な経験をする中で徐々に在宅への気持ちや社会資源の無さに気づき、

気が付けば、他府県の訪問リハで非常勤をしだすという行動に出ていました。(自分の居住地域には無かった)

他府県で非常勤をしつつ、在宅への想いは更に強まりましたが、まだ地域になく。

そこでも悩みました。

ST5年目くらいでしょうか。

個人事業主になって働くーーーーどうやって?生活は?

そこからが進まず。

不貞腐れている自分も嫌なので

環境を変える為にアカデミックな領域に入ったりもしましたが、

STとして環境を変えると「必要とされるスキル」が異なることが判らず、また苦労しました。

苦労をする⇒次はこんな苦労したくない⇒何か少しでも自分がしたい知識を得られる所へいく、学ぶ⇒こんなのも想定しときたい⇒直接学会などで聞く

を少しずつ繰り返すようになり

自分の住む地域で訪問ST事業所が出来る頃には色んな想定や心構え、知識がある程度は

出来ていたと思います。(勿論、そこからも前述のループを繰り返すことにはなりますが)


長くなりましたが、冒頭に戻ります。


今の時代に私が若手STだったらーーーー


SNSを最大に利用します。

自分のしたい領域での活動をUPしている方々の情報を閲覧し

その中でも自分の嗜好と似ていると感じる方に実名でアクセスします。

ここは実名で無いとお互いに難しいと思います。


しかし、以前の様に学会・研修にはるばる出向き、出待ちして懇親会で3次会まで残って

何とか話す、でも肝心の話出来なかったり記憶に残らなかった、というものは

すごく減ったと思います。


そして自分の気持ちに真摯に伝え相談すると、何らかの道筋や方法への紹介は

してくれる方もいる様に思います(有料か無料かはさておき)


その上で若いうちから学ぶべきものに対し行動・実行体験し、更に進んでいくかと

思います。

そうやって、ニーズがどこにあるか、どういった働き方をするかで、収入も以前の様な

他職種との開き無く、むしろ可能性のある選択しに出会えることかと思います。


正直、今の時代のアクセスのし易さはうらやましくもあるのです、、、笑


学生さん達への講師やリカレントプログラム講師をするにつけ感じています。







*画像は日本ST協会HPより



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