「ST,在宅やってるってよ」その65
「好きなものだったらみんな食べられる」
「認知症なんて作られた病」
色んなことばが飛び交っています。
このエッセイもそうですが、SNS、ブログなどの普及により
多くの人が自由に考え、想いを書けるようになった時代。
色んな意見が基本的に分け隔てなく閲覧出来ます。
そんな現在は
良い時代であり、怖い時代でもあると感じています。
特に医療・福祉関連職種の皆さんが発信する内容に触れるにつけ、感じます。
例えば
我々の意見が世間一般で言えば少数派マイノリティであるのに、
その中での常識・非常識を一回一回結論を出そうとする、決めつけようとする。
マイノリティの中で多数派少数派を区別しようとする事の意義は、、、
シンプルに世間一般に知ってもらうことが大切なようにも感じます。
でも好きなように意見を言える所が良いところでも。
職場で対面では言えない方が発信共有できる場、先駆者の方々に意見をもらえたりする場として非常に意味があります。
その意見が「お門違い」と感じても、突っぱねるのではなく、また発信者も反発・批判されていると思うのではなく、対面で大切にされる「礼儀思いやり」の一部を持って接すれば
「発信してよかった」「役に立ててよかった」になることも多いように感じます。
活字や動画越しに伝わってくるもので「全て」を伝えられるわけではないので
本当は肌感覚で対面でじゃないと伝わらないことが沢山あること。
センシティブな内容は「伝わらないことがある」ことを踏まえた
十二分な説明配慮を持った発信が必要になると思います。
我々の業界でリアルでもネットでも見られる「あるある」で言えば
「好きなものなら嚥下障害があっても食べられます!」みたいなコメント
確かに食認知が上がることで能力自体に変化がある方はおられますが、
あなた、わたしは知っている、、
ワレンベルグ、ALSでどんなに慎重に食べても咽てしまう方がいることを。
そういった方が「好きなものなら~」のコメントを見て傷つくことを。
「認知症は病じゃない」
素晴らしい環境の中で暮らしていても変わっていくことに苦悩されている方がいることを。
あなた、私は知っている。
「食べられない・認知症」に対する支援意見知識自体がマイノリティ、そんな中での何となくでの「絶対そうだと思います」で押し切られそうになる同調圧。
有名な方が発信していたら、反論できない空気もあったりします。
その場で反論する必要はなく、自分自身の物差しと向き合っている方々に照らし合わせて
「自分はそうはしない」としっかり自分を持っていれば良いと思うわけです。
そして、その心構えが功を奏した場合はSNS,ブログだけでなく学会発表、講習会など
自分が発信、ディスカッションしやすいと思う場で発信していければ良いと思います。
活字、引いては言葉では伝わりきらない、逆に真意と違う向きに捉えられ
無用なトラブルにもなることも。本来の好作用が起こる様に発信したいものです。
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