「ST、在宅やってるってよ」その57
前回が「大声で心から笑う」を引き出す、みたいなテーマでしたが、
今回も真意と表面に出ている感情は異なる、というテーマです。
十数年前
私がまだ病院に勤務していた時、ある患者さんが重篤な脳血管疾患となり、
主治医から
意識障害、失語症、口から食べるのはもう難しい、胃ろうを造る必要がある、
と言われました。
そんな中、ご家族と共に嚥下訓練を行い、回復過程にあったことも相まって
再び口から食べられるようになりました。
私や多職種、ご家族は回復に喜び、その方の右手が再び少し動くようになったりと
リハビリテーションの醍醐味の様な喜びを感じていましたが、
ある日、名前が書けるようになり、何か思ったことを書いてくださいと伝えると
「殺して」
と書かれました。
ご家族共々、何も言えませんでした。
それから十数年が経ちましたが、在宅に出た私を見つけて下さり、今も担当させて頂いています。
その当時発語は無かったのですが、発症から10年程度経過した頃から
短文で話されることが出てきました。
今はお孫さん、近所のお子さんと話すことやご家族と「あれを買うか、嫌。やめとこう」と
お話を楽しまれたり、聖火ランナーに自発的に応募されたりという日々です。
因みに「殺して」の書字以降、一切ネガティブな表現や表情はされていません。
その時も表情はいつも通りでした。(今はウルっと来るドラマで泣かれたり、面白いことに笑っておられます)
別の方では
いつも飄々と言語訓練を受けられて、感情を表に出さない施設ご入所中の方。
ある日、顔のマッサージをしながら床頭台にあるティッシュの箱に目をやると
「生きる」
とボールペンで弱い筆圧故に、何度も重ね書きされた、力のこもった文字がありました。
私はそれを見ましたが、触れませんでした。
その方々が、その思いについてもし、伝えたくなったら(声か表情か、その他の表現か)
その時に応えようと思っています。
ご病気や障害と関係なく、人はいくつかの感情と共に暮らしていますね。
感情も思いも日々変わっていきますし、瞬間瞬間で自分が
「うれしいに違いない」「メンタルが強いから大丈夫に違いない」
「撃たれ弱いからいつも心配」
という訳ではないですね。
その都度、真意に寄り添う、時間の経過を共有する。
配慮出来る、そんな姿勢でいたいと思うのです。
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