「ST,在宅やってるってよ」その56
少し乱暴で語弊もあるかもしれませんが、
個人的に
在宅で沢山お話を楽しみながら、リラックスした状態で行うことこそが
在宅言語訓練の要だと思っています。
緊張していると
失語症の方は喚語困難、発話開始困難・遅延だったりがありますし、
構音障害の中で過緊張を伴う方は努力声や唸り声が強くなるかもしれません。
お子さんだったら、「話す」のを怖がったり、「嫌な時間」と感じるかもしれません。
もちろん最初からそんな状態にもって行ける訳ではありません
(初日から笑顔になる方もおられますが、愛想笑いだったり心の底からとは後々違っていたな、と感じたりします)
もちろん、礼儀・敬語を話しますし、どういった理由で言語訓練を行うか、どんな希望か、内容の説明なども取りつつ信頼関係を気づいていきますが、そこに少しずつ、、、、、
「今度に繋がる話題」
「お互いのお話」
「共通すること」
「先生と生徒じゃない関係性」
「人間くささ」
のエッセンスをその方その方に合った感じで入れていきます。
大切なのはどちらかが優位ではなく、距離は一定保ちつつです。
出来れば介護者(ご家族やヘルパーさん、その他他職種、一緒にその場にいる方)も
一緒に、(1対1じゃないと本音を出さない人もいます、、、、笑)
それはすぐに来ることもあります。
お子さんだと、好きな食べ物、家で何してる?みたいな話を真剣に聞く。
自分の知ってる知識を伝えて「先生、わかってへんなー」がきっかけ。
次に会う時もそんな話を入れつつ、、、心からの笑顔や向こうから話しかけて来たら
ミッション達成?
大人で、寡黙な男性、、、、
愛想笑いは音も無くされていますが、
ある日、奥さんを交えてのフリートークの中で
これまでに無い大爆笑(声量が違う、破顔具合が違う)
音も無く大爆笑、破顔する方も、、、
笑いすぎて疲れて、、、
「今日は十分笑ったし終わろうか、、、笑」
「パッチアダムス」*
以前、映画にもなりましたがホスピタルクラウン、クリニクラウン(臨床道化師)を
広めた方です。
(以下Wikipediaから)
パッチの「7つの信条」
ひとをケアする理由はただひとつ。人間を愛しているからです。
ケアは愛を動詞化する。
ケアは概念ではなく、行動です。
ひとを思いやるという人生を送ることによって、あなたは自分のなかで一番深い平和と安らぎを得る。
良い意味のお返しをすること(良きカルマを積む/カルマからの解放)。
例えば、米国がアフガンに爆弾を落とし始めたとき、私はアフガンの人々を愛したいと思い、即座に現地に飛んだ。
平和のためにクリエイティブになる。
例えば、死の床でアメイジング・グレイスを歌う。
情熱を持ち、不可能だと思っていた夢を見る。
ひとをケアすることは、科学的見地からしても、あなたのためにいいことがある。
上記は、日本に講演の為来日した際に、ケアに対するパッチ・アダムス本人の発言から。
(Wikipediaより)
どこか似ているのかもしれません。
障害の大小にかかわらず、心は楽しめなかったり、辛かったりします。
外に行け、と言われてもしんどかったり、辛かったり。
そんな時は、我々が訪問すること自体が「楽しみ」の役割になることも
大切だと思うのです。
本気の笑いを皆で引き出しましょう笑
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