「聞いて聴いて、早川一光先生のラジオな話!又、来週」第27話
第27話
1989年(昭和64年)Ⅰ月7日午前6時33分、昭和天皇が吹上御所で崩御されました。
前年の9月19日に出血されて以来、マスコミ各社は特別取材体制を敷いて連日報道合戦を繰り広げました。(わが社もXデ-に備えて一時、輪番で泊まり体制をとり、その後持ち直されたと、解除した経緯があります。)
その日NHKは24時間報道体制に入り、民放もバラエティ番組を自粛し特番に切り替えました。そして、その日は土曜日の朝でした。
「早川一光のばんざい人間」のある日は午前3時30分起き、TVを付け異変が無いかをチエックします。当時は画面の片隅に昭和天皇の血圧等が表示されていた様に思います。
その日は、かみさんと子供は彦根の実家に行ってゴミ出しを依頼されていましたので、いつもより早く起きました。
迎えのタクシ-が午前4時40分に来て会社に向かいます。
タクシ-に乗ると5時のニュ-スを必ず聞きます。
それまでにも、何回かスタンバイしたことがあり慎重を期さなければなりません。
侍医長が午前5時に出た。
慌ただしく動きが出てきました。恐れていましたが、Xデ-当たりの様です。
そして確信しました。
会社に着くなり、保安の人に「これから手順にしたがって各部署を呼び込むので、遅番の人も起こして下さい。」報道に行って、部長を呼びだすように依頼。
ラジオのフロア-に着いて、アナウンス・編成・営業・制作各部長に連絡。
泊りの技術も起こして臨戦態勢。
この時は、正式発表があるまでレギュラ-放送と云う事で「ばんざい人間」の準備をしていました。最新の共同通信の原稿を用意。北出さんに読んでもらい速報を出しました。
(民放各局も速報を出したと思いますが、早い方だったと思います。録音番組の音楽を絞って読んだと思いますが、細かい事は覚えていません。)
早川先生やゲスト、呼び出した社員も次々に出社。
回線(プロ野球中継で使用)をチエックして、ニッポン放送が特番を立ち上げているのを確認。
編成判断で、
「ばんざい人間」は放送直前で休止。
特番に乗り換え、放送すると決定。
早川先生やゲストの方も普通に放送が有ると思いスタジオにスタンバイしておられましたが、手短にその旨を連絡。他の出演者にも間に合う人には、電話連絡しました。
体制が整うまで、しばらくその特番を放送。(ラジオの民放各局は東京のキ-局の放送を、受ける手はずになっていました。KBSもその段取りに)その後、報道が事前に用意していた原稿と音楽、京都ゆかりの人や御所中継など、24時間以上放送。(24時間にするか、48時間続けるかは各局の判断と云う事でした。)懐メロ番組からレギュラ-番組に戻ったと記憶していますが、バタバタしていてあまり覚えていません。
会社の喫茶室には、後番組の桂小米朝(当時)さんやアシスタント・ゲストの皆さんがたむろして、次週の打ち合わせ等をしていた様に思います。
その後皇太子が天皇に即位、午後2時36分小渕官房長官(当時)が新元号「平成」を記者会見で発表しました。その日は午後5時ごろ退社したと思います。
休止の番組は関係者にその旨連絡。スポンサ-もCMを自粛(阪神淡路大震災の時も)イベントも次々自粛する等、喪に服しました。
想定はしていましたが大変でした。
「ばんざい人間」は直前で、放送休止になり、本当に良かったと思いました。
番組が休止になったのは、後にも先にもこの時だけでした。
歴史の一コマに遭遇した想いです。(アナウンサ-時代に読んだ沖縄返還・米軍ベトナム撤退のニュ-スも緊張しました。)
ほかに美空ひばりさんが放送前日に亡くなられた時は、コ-ナ-を変更して追悼。曲も差し替えました。今年は令和2年そんなこともありました。
又、来週(つづく隔週予定)
*著者紹介
KBS京都「早川一光のばんざい人間」を立ち上げた初代ディレクター
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